めも

触覚が欲しい

2019年

気づいたらパスワードを忘れていた。

今年一回も書いてなかったから当然かもしれない。

徒然なる日記。


あんなに遠いと思っていたオリンピックが来年、いや、半年後に来ているらしい。

時間を感じる感覚が鈍くなって来ている。毎日が早すぎる。ネズミか。来年は子年らしい。

周りもどんどん結婚していく。子供も生まれていく。


大人になるってなんだろう?っていまだに考えてしまう、絶賛モラトリアム中の私はやばい。みんなはそんなこと考えることもなく、とりあえず歩いているの?それとも、もう大人なの?


子どもの権利条約について、最近改めて読んだ。

子供には権利がある。

詳細は省くけれど、子供は守られるものだという前提に基づいて定められている。

それを読んでいると、いいなぁと思ってしまう気持ちが4mmくらいある。

公的に、守られるものであると明言されている安心感が羨ましい。


守られたい。

優しくされたい。

大人になるって、自分を自分で守ったり、優しくできることだと思っていた。でも、全然まだまだ守られたいし、優しくされたい。

なのに、完全には守られたくないし、優しくされたくない。

自分を大切にしている自分のことを、尊重されたいのだ。自分の意思を超えては守られたくない。めんどくせぇ。


少しだけ、今年も成長したな、と思うことは、自分の中でその気持ちを保ち続けれるようになったこと。

誰かにぶつけずに、求めずに、この、どうしようもない寂しさとか、空っぽな感覚と少しだけ遊べるようになった。ほんのちょっぴり。だって、誰かだって、この感覚を埋めれるわけないって気づいたし。

結局、人はどこまで行っても孤独だけど、その分かり合えなさは自分の中だけで抱えておけばいいんだと思う。孤独を埋めるために他人は存在するわけじゃない。孤独は孤独で置いといて、また別の次元で人と関われたらいいな、と思うようになってきた。


最近、本当にようやく、恥ずかしいくらいに今更、他人に自分のことを分かってもらうことは無理なんだ、ということが判りかけてきている。頭の次元を超えて。

分かってもらいたい病は治らない、一生。でも、病を抱えたまま、人と付き合うことを考えれるようになってきた。

自分と誰かは、どれだけ仲良くなっても他人で、別の生命体で、1つにはなれない。でも、一緒にいたい、少しでも同じになりたいと思う気持ちこそが、人間のエネルギーなんだなぁと思う。主語がでかい。私は、思う。

分かってもらえないし、1つになれないから、わかり合いたいと思うんだ、なんて綺麗事はよくわかんない。それはエネルギー、生きていく上で必要な感情だとは思うけど、それなら今は分かってくれなくていいかな、と思ってしまう。


矛盾しすぎている。


自分のことは自分が一番知ってるし、むしろ自分のことしかわからない、だから自分にしか優しくできない。

それなのに、こんなにも優しくされたい。

なんでか考えたけどわかんない一年だった。


来年も考える。

多分、一生わかんないのにな。