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めも

触覚が欲しい

きっとどうかしてた、と思うこと

頭がぐるぐるしてまた勉強に集中できなくなったから文字に起こしに来た。どうかしてた、と思うこと。

(あのときのわたしは)きっとどうかしてた。だ。

このニュアンスについてずっと考えてる。この言葉ってずっと後悔だとか不思議な感覚を表してる言葉だと思ってたけど、本当はもっと単純で

(こんなのわたしじゃない。)きっとどうかしてた。

なんじゃないかなって。自分の中に存在するこうありたい自分、もしくは自分そのものとのズレ故にその言葉が出てくるのかな、ってね。だとしたらこの言葉に含まれている意味は、否定が大きくなるのかなあ。そのいつかの自分の、否定。アレは自分じゃないと思いたいのかなあ。認めてしまえば、そのどうかしていた自分も自分のひとつになってしまうから。

ありふれた方法として、どうかしてた原因を他人に求めがちだ。他人だとか、場の力とか、何でもいい。要は他者に求める。ほら、ここにも自分のせいじゃない、のニュアンスじゃん。

別にそれは良くて、そりゃいろんな不思議なことも、自分ではこんなことしないと思うことをやっちゃうこともあるけどさ、結局はそんな自分を認めて、そこから何とかしていかなくちゃあならないんじゃないのかなあ。なんて。ただの想像。でもね、自分じゃない、これは自分じゃない。って思う出来事が増えるほどしんどそうだなって思ったりはする。認めてあげたら楽だけどね。そう。強烈な「どうかしてた」体験、つまり自分でない自分の体験は、新しく自分を作るチャンスだと、思うな。

なあんて、私は割と「どうかしてた」とか笑いながら酒を飲み会うお話が好きなので、そこで変われ、とは全く思わないし、思い出の保存方法は好きにすればいいと思うのだけれど。笑い合うことでしか向き合えないことも、あるしね。正解なんてないから、同じようなことにグダグダといつまでも考えてぐるぐるするわけですし。でも、そんなふうに、自分じゃないような自分も、受け入れられたらいいのにな。