めも

触覚が欲しい

期待するということ

今日掃除機を動かしながらずっと考えていたのは、他人に期待するということ。私たちは知らず知らずのうちに他人に様々なことを期待してしまっているんだなあ、って。

と言うのも、わたしは年下が好きなのです。或いは同級生がすきなのです。年上、と言うだけでちょっと違和感がある。で、それはどうしてなんだろ?って考えてたんです。で、分かったのはわたしは年上にはすごい人でいて欲しいと思ってしまうということ。同級生とか、年下なら許せることも、年上だったら許せなくなっちゃう。それはもう何を思うより前に、年上であるならこれくらいはできていてほしい、という期待に他ならないのです。年なんて関係ないのにね。


同じような期待をよく感じるのが育児場面です。よく言いますよね、お母さんの凄さ。でもあれって、(本当にすごい人もいると思うけど)基本的には《母は優しく、清らかで、たまに怒ったりするけど、みんなのこといつも考えてて、弛まない愛情を捧げ続ける》なんていうこの世の終わりみたいなみんなの期待を背負った末なのでは?とよく思います。この世の終わり。頭がおかしい。母という役割、父という役割、子供という役割。それぞれみんなこういうものだ、という期待に引っ張られてしまっているのではないかなあ、なんて思います。少なくとも、「お母さんはこうだった」とか言ったり「これが普通だ」って言う人はだいきらいです。お母さんの集合体に当てはめるな。お母さんとしての役目を期待するな。ってわたしは思います。マザコン死すべし。



こうであってほしい、という期待を、他人に背負わさずに生きていくにはどうしたらいいんでしょうか。たまにいますけどね。本当に他人の期待を背負うために生まれてきたような人。でもあんな強靭な精神の人は滅多にいません。期待の押し付けは結局お互いが苦しむだけな気がします。

それと一緒で、期待されないというのも、つらいよね。中庸中庸〜>< 




「おんなのこなんだから、結婚したらいいでしょ」「馬鹿なふりしてるのがいいのよ」って言われるのが死ぬほど嫌だった