読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

めも

触覚が欲しい

聞くということ

最近否応無く「聞く」ということに向き合ってる。で、すごいなぁと思ったりする。なんかもうプロは異次元なんだよなあ、って。次元が違う。聞くって、当たり前だけど、話し手が話すために行われる態度なんだよね。それを私は普段忘れがちになるけど。話し手がいかに話しやすくするか。話し手がどんな話をしたいのか、どれくらい話したいのか、どれくらい干渉されたいのか、それを瞬時に見極めて適切な「聞く」という行為を行う。それってすごいなあ。

だから、本当に聞くためには、相槌とかそんなんじゃなくて、人を見る目が大切なんだなあと最近思う。聞き上手です〜って言う人は、ただ何も考えてないだけなんじゃないかなあ、って。聞くのって、話すよりよっぽど労力がいることだ。しんどくて、聞いてられない。60分が限界だ。それよりも聞けるのは多分、集中してないと思うし、何か違う次元での「聞く」なんじゃないのかなあ。

聞き上手に、なりたかった。ずっと昔から。でも聞き上手はなれない。難しすぎた。

広告を非表示にする

音楽だとかのこと

芸術の才能がある人ってほんとすてきだなあ、と素直に思う。音楽にしろ、絵画にしろ、その他色々。

でも芸術ってよっぽど天才の人以外は何かを表現したいからやってるんじゃないの?と思うことがあって。それは自分の内面とかではなくても。ここをこうしたい、というこだわりが強いのかなあと思うし、それってある意味誰かに何かを伝えたいってことなのかなあ、と思う。

で、ここからはさらに話が飛躍するわけだけど、そうすると、そういった芸術をする人は、ある意味で人間としての欲望に素直で、またある意味ではそうした欲望が人より多いのかなあ?と思ったりもする。

人の心を動かせる、って才能だよなあ。すごいなあ。たとえそれが自己満足だったとしても。その動かしたという事実がフィードバックはされるわけだから。

広告を非表示にする

学問のこと

学問に人は染められてしまうの? 学問を身につけるということは、その学問に骨の髄まで浸かると同じことなのかもしれないね?

そんなことを考えた。笑いのツボも、考え方も、時間の使い方も、全部変わってしまう気がする。もちろん、あくまでも表面的な、だけど。人によっては性格そのものが変わることもありそうだなあ。

私は議論ができない。意見が言えない。

議論ではなく、話し合いしかできなくて、意見はないほうがいいから。結論を出すための話し合いじゃなくて、話し合いを共有したという事実を求められるから。元からできなかったのにさらにできなくなった気がする。

「今なにしてるの?」って質問が昔はすごく嫌いだったけど、好きな人にしがちだったけど、今はそれもいいなあと思った。

その人の過去に目を向ける方が話しやすくて当たり前なんだけど、「今」に目を向けて、今の気持ちを共有する感じ、いいのかもしれない。だって今を生きてるんだからね。今のあなたに興味がある、という証明にはなるよね。

なんて、そんなこと考える間もなくただ話題が思いつかなかっただけの過去でしたが。

染められてるなあ。

でもやっぱり私にはこの学問があってるし、すごく好きだ。眠くなりました、をレジュメに書くことを、正直に言うことを良しとされて、感じていることを最大限生かそうとする。私はまだまだ自分の感情に気づけないけど、これからもっと気づいていきたいなあ。

あと記憶力もほしい。人に興味を持ちたい。人の好きなものとか、言ったこと、一回で覚えれるようになりたい。

広告を非表示にする

同一化すること

ずっと書きたかった内容で、GWくらいからぐるぐる考えてはいたんだけど、なかなか言葉にするのが難しくてできなかった。けど、そのままにしてもモヤモヤするし、どうせなら書こうかなあと。

あくまでも妄想の域を出ない。

痛バッグ、について。

あれはなんなんだろうなー、ってずっと考えていて。私からすると好きなものを強く好き!って主張できるのは本当にすごいと思うし素敵なことだと思うので痛バッグ肯定派です。それでね。痛バッグって、常にそばに居られるってことですよね。そして、年頃のそういったカバンを持つ人は大抵みんな異性のキャラクターをつけている。痛バッグじゃなくてもいいんです。そうやってたくさんキャラのグッズを持ち歩くことに、何の意味があるのか。道端でファンに出会いたいなら1つでいいんだもん。そう考えると、つよくつよくそのキャラクターと一緒にいたいのかなあ?

ちっぽけだけど、よく聞く話で、好きなキャラクターは自分に似ている、というのがある。これは少しは近いんじゃないかなあ、と思う。自分に似ている、というより、なりたい自分なんじゃないかなあ。と。

だからそのキャラクターをつけることで、なりたい自分を保管して、だんだん自分の方に取り入れてるんじゃないかなあ?と思った。自分だけでは得られない、異性の像をキャラクターを通じて取り入れてるのかな?

そう考えると、キャラクターのグッズを持ち歩いたりしないひとは、取り入れの対象として好きではないのかな?とか考えるけどそんなこともなさそうですね。

自分の心に響かなければ、何事も好きにはなれないんですよ。どこか惹かれるから好きになるんですよね。

だから、心に欠けてたり、心が目指す何かをその人は持っているんでしょうね。ただそれを私たちは「かわいい」と表現するけど。かわいいだけならその子じゃなくて他にもいっぱいいますからね。

ルルーシュかわいい。

努力を惜しまない天才が好きです。

努力しないのも、天才じゃないのも、嫌です。

努力で成り立つ天才が好きです。

広告を非表示にする

言葉のこと

言葉って、ただの意味を乗せやすい形になったものなんだなあと思った。本来、それはジェスチャーや、音の抑揚、アイコンタクトだけで伝えようと思えば伝わるものなんだなあ、と。ただ誤解を防ぐために言葉を利用するんだなあ、と。

もっと言えば本当にわかりあう努力を惜しまなければ言葉なんて必要ないのかもしれない。

母音だけで話したい。5音だけで全てのことを分かりたい。母音だけで話せる関係になりたい。

そんなことをふと、思った。

広告を非表示にする

@

電車だと人の行動がすごく気になるのはなぜ?

閉鎖空間だから? 外では開放的で、他に見るものが沢山あるから気にならないの?そういえば問題行動(とされるもの)は全て室内、というか閉鎖空間で起こりやすいなあと思った。閉鎖空間は何を持っているんだろう。気になります。どう思いますか?

人は対象が限定されるとその中でなんとかしようとするからなのか。うーん、誰か意見をください。

広告を非表示にする

見方のこと

「昔は見たこともない相手のことを好きになり、文で惹かれ合い、お香たき、教養があるようで、でも代筆を頼むこともあった、そして会って初めてセックスをして、3回すると婚約になる。それって今の出会い系と同じじゃない?」のようなことを書いてある本を見て今日すごく納得した。そういうことをけしからん、と言う人沢山いるけど確かに昔から割とやってたなあ、と。そんな感じで、フツーに悪いこと!と決めつけるのはどうなの?という考え方がすごく好きだ。

例えば。学校行かないのはダメなことなの?とか。学校行かないからこそ得られることもあって…。そんな感じで、ある現象を良い/悪いで判断しない人間になりたいなあと思う。頭を柔らかく。やわらかく。

何かができるようになるということは、つまり何かができなくなるということ。できないことができるようになる、ということはその分、自分の得意なものが少し劣る、ということ。

思ってる以上に常識にとらわれて、頭が固くなって、未来を見て、他人の目で自分を見て、生きたくないなあ。

広告を非表示にする