めも

触覚が欲しい

お嫁さんが欲しいこと

嫁が欲しい。

お嫁さんが欲しい。

自分のために毎日ご飯作ってくれて、自分のパンツ洗ってくれて、部屋も綺麗にしてくれて、飲んでる時の話し相手になってくれるお嫁さんが欲しい。

お嫁さん欲し過ぎでしょ。

そりゃ結婚したいわ。って思うんですけど、お婿さんが欲しいとは一ミリも思わないので法改正してください。なんていうか、感覚の問題。主夫じゃなくて。女の人がいい。

というか、マジョリティーな世間一般男性ずる過ぎない?仕事さえやって帰れば、どんなことが外であったとしても、お家にさえ帰れば、自分のことをお世話してくれる人がいるって凄過ぎない?生きるスキル全削除できる空間があるってすごくない?赤ちゃんかよ。シマウマ以下じゃん。すごすぎ。野生では生きていけないぞ…。

自分のことを待っていてくれる人がいる感覚というものは、人を回復させると思うんです。その感覚が毎日味わえるってすごいし、すごいと思う。

待ちたいと思える人、もっとすごいと思う。才能。天才。すごすぎ。

家事もしないしお金も稼げないけど、私がいてくれるだけでいいという結婚相手を募集していこう。

満員電車のこと

満員電車に乗っている人たちのしあわせと、ふしあわせ足して2で割ったらどっちが多いんだろう。

この人たちを乗せて運ぶ君は、どんな気持ちなんだろう。

満員電車とお話ししてみたい。

わたしは元々人の体臭にうるさくて、ダメな体臭の人も多いんですけど。満員電車に乗ると苦痛でしかないわけです。距離が近い。体が近い。つまり体臭をモロに受ける。死。死。死。でも自分の体臭って絶対自分では気づいてないし〜。って我慢してはみるけど、キツイですよね。マスクで自衛するしかない。

そもそも臭いわけではないかもしれないですしね。わたしがダメな臭いってだけで。他の人からしたら良いスメルの可能性もあり。スメルの好みは人それぞれ…。どうしたらいいんだスメル問題。

いい匂いのする天蓋付きベッドで寝たいです。

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欲望のこと

いつの間にか夏が終わろうとしています。お元気ですか?

フロイトって知ってますか?フロイトと言えば、色んなものを性欲に結びつけたとしてバカにされがちな人です。本当は、あの時代の人はムッツリさんが多くて、そういう説がウケたという説もあったりなかったり…。

そしてそんなことはどうでもよくて、実際、人ってどれくらい欲動に突き動かされてるのだろう?って最近よく思うのです。

分かりやすい欲求だと、性欲でしょうか。大人になるに従って発露していく、もしくは自覚していく欲求でしょうか…。最近巷で性欲がなければ…みたいな漫画があったりもしましたね。皆さんそんなに性欲に動かされてるんですか?マジで?怖くないの?それ?ってずっと思ってます。

性欲に関して言うなら、それを他人に向けることの恐ろしさに怯えてる子鹿。わたし。性欲を無差別に他人に向けるって痴漢と同じじゃないですか。犯罪じゃないですか。自分の中の制御できないものを他人に向けてるってホラーじゃないですか?

でもそもそも、食欲、睡眠欲、性欲、とかって自分で制御できるんでしょうか?

私たち人間は、理性的な生き物とされています。

そうならば、制御できるはずなのです。

欲動に負けてはいけません。

幸せになりたいと感じるのは、欲動?

頭で考える幸せと、感じる幸せのズレが大きくなったら人はどうなるんでしょう?

欲動/欲求/本能etc.都合のいい言葉に押し付けた、自分では分からない、ものたち。と向き合わずに生きたらどうなるのだろう。向き合う強さがほしい。仲良くなりたい。ううん、欲動がわたしの下僕になってほしい。無休で、無給で働いてください。

欲動はどれくらいわたしの味方なのか。

使いこなしたい。魔法みたいに。

魔法使いは本当は童貞なんかじゃないですよね。童貞は永遠に魔法使いになれない。なんでもいいけど。

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境界ということ

お久しぶりです。

冬から春へ、そして初夏に。

季節はあっという間に変わっていきますね。

私もいろいろと変わっていたい。季節においてけぼりは嫌ですね。

境界、という概念。

それは 何かと 何かの 間を作るための線。

境界がなければ間はできなくて、モノはくっついたままだと思います。 くっついたままでいいモノなんて世間にはほとんど無くて、人で言えば「自立」だとか「分離」だとか 成長で経ていくものと言われるわけですが。

あと、どうでもいいけど間があるから言葉が生まれるそうです。先輩が言ってました。間のない関係には言葉が必要ないとも言えるし、言葉を使うためには、間がいる、とも言えますね。それは母胎にいる赤ちゃんのように。別の存在として成り立つ時に言葉が意味を持つ。

そんな境界って、私はあまりうまく作れなくて。

逆に、境界があるとすごく意識してそれを守ろうとしてしまいます。例えば新幹線。座席と座席の間に肘置き、ありますよね。アレです。

アレからはみ出る人を殺したいくらいの殺意に襲われてしまうのです。もはや病気だと思います。でも、境界が作られているのにそれをはみ出す人が許せないわけです。アレがなければ何とも思わないんです。ただ、アレがあることでそれをどうしても意識してしまう。それが言いたいがためのブログ。

境界って大事だと思う。人と人が生きていくために。それを自然と作れる人は尊敬するし、壊したくもある。

距離感ってね、大事みたいです。

親しい仲にも礼儀はなくて、親しさの距離が違うんだと思います。

親しさの距離が人とズレてるのは生きにくい世の中なので速やかに治しましょうね。

おわり。

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異性をモノとして扱うこと

メリークリスマスの時期ですね。なんだか恋人が増えている気がする時期。色んなところでこれでもか!ってクリスマスソングが流れて、よく分からないくらいのゴテゴテのイルミネーションが至る所にあって、色んなところでデートが出来ちゃう季節。

「恋人が欲しい〜!」って台詞も腐るほど聞く時期。耳が腐る。黙って欲しい。お前が欲しいのは恋人か?恋人なのか?と問い詰めて泣かしたくなる時期。恋人ってなんですか?あなたにとっての欲しい恋人とは?「恋人」ですか?それは、枠?

恋人が欲しい、という人に聞いて回りたいのだけれど、それは、恋人枠が埋まればいいのでしょうか。街を歩いて、求めることをしてくれて、自分も気持ちよくもてなすことができる人間という「枠」を埋めたいという願望?それって恋人じゃなきゃいけないのでしょうか?なんだか人のことをバカにしているようにも感じてしまう。お前の意見が子供だよ、現実はそんなものじゃないんだよ、と言われればそれまでだけど、「恋人」が欲しいと思って作るのと、「この人」が欲しいと思って恋人になるのは雲と泥では。だって好きな人が作れないのに恋人が欲しいってなんかもう順序がすごい。餃子が作れないのに餃子のタレが欲しいっていう感じ。違うか。

同じ感じだと、人肌恋しいに準ずる表現も気になります。セックスする相手が欲しい、疲れた時抱きしめる相手が欲しい、ハグだけしたい、キスだけしたい、その辺の肉体欲求を満たしたいから恋人が欲しいという人たちに。それって、どうして人間じゃないとダメなのでしょう?というか、どうして恋人じゃないとダメなの? セックスはまあ、人間としか…って言われても少し納得しますけど、他は恋人とじゃなくてもいいでしょう。セックスだって、セックスしたくて恋人を作るのは違和感しかない。のになあ。さすがにセックスしたいから、まで露骨なのは聞かなくても「抱きしめてくれる人が欲しいから恋人欲しい〜」はすごく良く聞くのだけれど。それって言い換えれば自分を甘やかしてくれる都合のいい人が欲しい〜それって恋人〜!まで自分でわかっててのセリフなのかしら。そうだとしたらそんな人に恋人なんて出来て欲しくないなあと念じる。肉体的欲求をぶつけていい相手なんていない。お前は誰を求めているのだ。恋人じゃなくて、もっと遥かな女神を恋人に投影してるだけじゃないのか?と思ったり。言わないよ。そんなこと。

そうやって求めた異性、もしくは同性って人なのかしら。モノじゃないの?って思う。

私だって人のことモノ扱いしてるな〜 今この人湯たんぽでしかないな〜 今この人車でしかないな〜 今この人ゴミ箱でしかないな〜 って思うことはあるけど。でも少なくとも自分が人を求めてるのか、モノを求めててそれを便利だからって人にやらせてるのかは考えてるよ。考えてるからいいのかって言われたらそれまでだけど。でも、周りの人をモノ扱いしてる人ってすごく多いなあ、この人気づいてんのかな?ってのもよく感じるんだよね。気づいてます?どないでっか?

モノを求めてるんだ、って開き直られるとまあそれはそれで…私はどうぞ…しか言えないです。けど。でもまあモノを求めてることに気づかず相手を傷つけてしまうよりはマシかな?それよりタチが悪いかな?モノになる人は幸せか。

私は人になりたい。

来年の天皇誕生日が土曜で貴重な祝日が潰れることだけが悲しい。来年のイブは日曜、クリスマスは月曜です。鳥たちの命日。

相談すること

相談するときは、すごく勇気がいる。

相談じゃなくてもいい、愚痴をこぼすことだってそう。とても勇気のいることだと思う。例えば相談をする時って、本当に相談していいのか?(自分の中で十分悩んだか?)とか、相手の迷惑にならないか?とか 色々悩んだ上でようやく言葉にして相手に紡ぐと思う。愚痴だって本来はそう。その愚痴のせいで嫌われてしまうかもしれない。愚痴をこぼすくらいで離れる相手なんて他の理由でも離れるから、そんなこと気にすんなって私はよく言うしそう思ってもいるのだけれど。

でも、言う側からしたら勇気がいるのだと思う。一般的に、楽しい話は良い。相手を不快にしないと思われてる。楽しいことだけしたい、楽しいことだけ聴きたい、なんて言う人も知ってる。楽しいことが良いのか、パッと答えが出ることが、割切れる事が、いいのか分からないけど。ああ、そうだ。愚痴とか相談って答えがないから嫌われる話なのかもしれない。自分の中に答えなんてない。相手が答えを提示したとしても、それを自分が必ず受け入れられる話でもない。だから、なのかも。あいまいさに耐えられないってよく聞く話だ。これはまたいつか考えたいけど。

相談するのに勇気が要らない人もいるのかもしれない。そういう人にとって相談はなんなんだろう?共有?悩みの?じゃあ相談って共有することの恐れ?相手に自分の胸中を見せて、共有することの?

自分を見せるのは確かにとても怖いことで、相談もそういうことに繋がるのだろうか?自分の共有と、相手の不快感と、きっと他にも。

つい忘れそうになることだけど、誰かが自分を頼ってきたとき、相談したり、愚痴をこぼしてきたとき、相手はどんな気持ちで私を頼っているのかと考えるようにしている。私にもとめられている答えを返すのだ。それは私を求められていることもあれば、肯定が欲しいときもあれば、一般論と思えるものも、とうてい私ではない答えが求められてるときもあるのだ。それも含めて、私は答えないといけない。相手が望んでない答えを返すのは相談してくれた相手にも失礼だ。よく相談したのに、とかで文句言ってる人はこの辺の意識の問題だろう。相談したからといってその人の意見が聞きたいわけではないのだ。ただの聞き役として選ばれている時、その人の個性はいらない。難しいね。

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こいの色のこと

「恋」って何色なんだろう?ってふと考えた。世間一般のイメージからすると多分ピンクなんだろうけど、本当か?って悩みだしたら止まらなくなった。そもそもピンクって女性のイメージカラーみたいなところがある気がするけど、それと近いのかな? 女性グループに属するものだから、ピンク?もしそうなら大分横暴だなあって思うけど。でもそもそも確かに何かをイメージするときって、イメージの元になってるものがあって、それを元にカラーが決まっている気もする。お金だと黄色、とか。恋って本来はすごーい抽象概念の筈なのにこんなにも刷り込み的にピンクになってるのほんと不思議。

刷り込みの可能性はこの際置いといて、ピンクのイメージにだけ焦点化する。ピンクのイメージ。赤より柔らかい。赤は情熱だ。情熱より少し可愛らしいもの。なのか? 桃色の片思いってなに?って昔ずっと思ってたなあなんてのも思い出す。 恋ってそんなに可愛いものなのか?

まあ何が言いたいかというと、恋が可愛いとかどうでもよくて、本来すごい概念の筈なのに、恋といえばピンク、みたいに頭の中で固定されてる感じがすごく残念で、刷り込み教育め〜〜〜!!ステレオタイプめ〜〜〜!!ってなってるだけ、です。 いろんな色で、いいのになあ。

ちなみに私の感じる恋の色は、オレンジです。茶色とオレンジの中間。ふむと音がする、落ち葉の道。

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