めも

触覚が欲しい

裏切らないでほしいと願うこと

人は裏切られるのを恐れる。

その最たる例が、好きでいてほしいと望むことなのではないだろうか。

好きでなくなれば、好きな人だから、信じて打ち明けた自分を否定されることに繋がるのかもしれない。

裏切っただの、嘘をついただの。

本当にどこまで信じていたのか?と思う。

本当に裏切られたのを憎むほど、信じていたのか?

憎むことは自由だ。ただ、本当に裏切られたのだろうか。

分からない。

騙されることも。信じることも。

信じるって難しいし、でもいつまで信じても突然裏切られることもあるし。そもそも信じるってなんだろう?って。

相手を自分の理想に押し付けること、型抜きのように使うことを信じると言っているうちは、多分永遠に裏切られると思う。

人は生き物だもん。型には収まらない。

自分の予想なんて遥かに超えて色々、する。

理解を超えた時にわかりあう努力をお互いする覚悟があることを信じてるって言うのかなって思ったりする。

裏切らないでほしい。

信じさせてほしい。

一人にしないでほしい。

ずっと好きでほしい。

不安でいっぱいの胸中。

どうやったら満たされるんだろうね。

新年のこと

謹賀新年。

昔、お正月は好きでした。

口実がないと送れないあの人に、送れたから。

今ラインになって中高生はどうしてるんだろう?

一斉送信なんかできないから、個別に送ってるの?わざとらしくない?こわいね。

新年を迎えるといつも、大したことないなって思う。

ワクワクしたテレビと、ちっぽけな自分。

全然ワクワクなんてしない。ただ、不思議な感覚に襲われる。

今年も始まって行く。

今年は試験二つ、合格したいと思います。

頑張ります。

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時が止まること

いろんな人と話してて、なんでこの人はこんなに幼いんだろう?と思うことがある。

もちろん、社会ではちゃんとしてて、リーダーとかを任されたりだとか、バリバリ仕事ができる人であるにも関わらず、だ。

人は、人生において、とっても後悔してたり、いつまでも忘れられない場面で時が止まってしまうんじゃないかと思うことがある。

その時から、その人は死んだまま生きてるんじゃないかって。すでに寿命を迎えてるんだから、一度生まれ変わらないと死んだままだ。

生き返るには、いつ死んだか、なんで死んだかって考えなきゃいけない。それが本当に難しいと思う。死んだ自覚なんてないから。なんて、ふと考える。

わたしはいつ死んだんだろう。

自分の中にあるちぐはぐな幼さはどこに取り残されているんだろう。

考えても分からないけど、いつか生き返りたいと思う。今を生きるわたしと、死んで蘇ったわたしが、重なるときが来ますように。

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@

過去は変えられない。

でも未来・今は変えられる。

だから私は未来永劫続くものに、酷く眩暈がする。

そこにあるのは圧倒的な永遠。

私ではさわれない場所。絶対に届かない場所。

そこを開けてくれ。私のために。

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崇拝すること

オタクって、大変だな、と思う。

つい先日、友人と一緒にとあるライブに行った。

私は予習も何もせずに行って、曲とか、サイリウムとかも全然分かってない状態。友人から聞いたので、それぞれの色だけ分かってる感じ。

なんかみんな頑張ってるな〜と思いながら振ってたら、斜め横の人が、泣いてた。

そこからはもう、ステージどころじゃなくて、何がこの人を泣かせているのかそればっかり考えていた。

分からん…分からん…って唸ってたらその隣の人も過呼吸みたいな勢いで泣き出して、いよいよ唸る羽目になった。

それで、きちんと考えたことを記す。

私もとある人のオタクだ。

生きてるだけで尊い…とか言っちゃうからまるで宗教だと思っている。崇めている。讃えている。讃頌。

それで、オタクって大変だなあと思った。

多分、これは生きてる人を追いかけてるオタクに多いと思うんだけど、そういう人たちってすごく自尊心が低いと思っている。

自分にかけるエネルギーを、その人にかけてしまう。

生きる目的が、自分から、その人にチェンジしてしまうのだ。息抜きから、生き甲斐へ変わってしまう。まるでその人が自分の人生そのもののように思ってしまう。

どう考えても、テレビとか、動画とか、雑誌とか、全部追いかけるなんて自分のことを大切にしてたら不可能に近い。なのに、それをやらずにはいられないのだ。それが生きることだから。

そして、そうやって生きていると、多分本人が一生懸命生きてるところを見るだけで泣けてくるのだと思う。だって自分の一部だから。普段生きれていないところだから。

そして、そういうオタクを獲得してしまう本人は、だいたいオタクに対して、自分についてきて欲しい旨をのたまう。そこからさらに悪循環が発生する。オタクはさらに自分を捧げる。心臓なんて怖くない。お金なんてないさ。彼らは共通して貯める時間をくれ、と言う。あなたに使うために。

「あなたたちがいるから私がいる」

おそらく本人たちは心から言っているこの言葉。多分本当は、

「あなたはもう、私がいないとダメ」の裏返しになってしまえるんだろうなあ、と思う。

自分自身になってしまってるから、おかしいと思うとキッパリと引き離せる。それが多分、冷めやすさなんだろう。まあ、新しい自分の宿主を見つけるだけだけど。

そのライブで、本人たちは、「無理のない範囲で応援してください」と言葉をかけていた。ファンを労ってのことだと思う。でも、それはとどのつまり、「自分の人生を生きてください」と言うことで。心酔して生きている人にとってはひどく恐ろしい言葉だろうな、と感じた。気づくかは分からないけど。

(もちろんただのファンにとっては優しい♡ で済むと思う)

オタクって怖い。

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言葉を紡ぐこと

文字を紡ぐことは精神を安らがせること。

文芸部is 病巣。

でもそう考えるとレポートってどうなるんだっけ…?とか真面目に考えてしまった。

多分違いは、自分の中から言葉を紡ぐかどうか。ただ書くことも何らかの癒しにはなるだろうけど、安らがせてはくれない。

何かを紡ぐためには病まねばならない。逆に言えば、何かを紡げる人はきっと病んでいるのだと思う。病んでることを誇ろう。きっと、本当に精神がピカピカした人間は言葉なんて紡げない。自然に出てきてしまうから。

何かの壁とか、鬱屈したものとか、言おうと思ってヤメた言葉とか、汚いドロドロしたものとか、汗と青春とか、色んな肥溜めみたいなものを心の中に持っている人が、その中からちょびっとチューブを絞るように言葉を紡ぐんじゃないだろうか。

創作なんてもう、自分の中から出てきた物語をまるで自分が関与してないように書けるんだから闇が深い。それはお前の物語だ。受け止めろ。

創作できないのは、自分の肥溜めから搾り出すことを恐れているのか、肥溜めがないのか、肥溜めを認められないのか。さあ、どれだ。

堂々と自分の中から出てきたものに物語の皮を被せて、それを書ける6年間だった。もう終わってしまうけど。あと2回しかない。

きっとこれからも文字を紡がないと生きていけないから書いていくけど、そこに私の顔はない。顔があって、文字を紡ぐのって、ねえ。

文字にすると、絵が固定されてしまう。それは「しまう」ことだし、「ることができる」ことでもある。ふわふわしたものをギュッと固められるのが言葉だ。絵を、動的なものを、静止させられる。それでいて、静止が続いて動になる。さらには過去になる。紡いだ瞬間、自分から離れていく。どんどん冷たくなる。

動のまま抱えるのがしんどい時、言葉にして心の中に落ち付けようとするのかなあ。言葉にすると客観的に読めるから。誰かに伝えられるから。そう考えると、誰かに聞いてもらうって、受け止めてくれる人がいることよりも、文字にしていることに意味があるのかもしれない。文字にして、受け止めてるのは自分なのかも。

考えを変えると、世の中の人ってほとんど病んでて、なのになんか生きてる。そのなんか生きてる感覚がすき。人間って多分、なんか生きれる。生きる意志とは別に、何かに生かされてる。ありがとう、何か。

病んでないって思う人は、本当に病んでないのか、病んでることを気づかないふりしてるのか、はたまた。

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過去のこと

過去は、いつから過去になるのか。

そういえば今から見て、一瞬前のことは過去らしい。

でも私にはそうは思えない。

今の感覚に全神経を使って、必死になってるから、なんか気づいたら過去も今も未来もごちゃごちゃになって、過去が過去になったときには過去になりすぎている。

痛みを伴う今に侵入してくるか、感覚さえ忘れた、ただの羅列になってしまっている。どちらかしかない。

過去にあったこと。ほとんど忘れてしまう。私は記憶力がよくない。誰かが過去に言ったことは覚えられても、自分のことはあんまりだ。だから、覚えている過去の記憶なんて、もう本当に煌めきすぎて思い出すことが困難だ。今より、眩しい。そんな訳がないのだ。眩しいものを私が手放す訳がない。私は欲張りだから、キラキラしたものは今に置いておきたい。はずなのだ。だから、それは過去になったが故に眩しくなれたものなのだろう。

今の世界に持ってきても、それはどこか違ってしまうんだろう。多分。

あれは過去だから輝けるものなのだと思う。頭では分かっていても、欲しくなるもの。小さい頃たべれなかった、大きいオムライス。今食べても少しの嬉しさの後、叶えてしまった悲しみが残る。そんな感じ。多分。

でもどうしても戻りたい過去がある。

今の私には悲しくても、あの時の私ならきっと嬉しがる。その頃の私に戻って、あの過去に戻って、もう一度だけ体験したい。あの春に。

「わたし」が進んでいく場所に、私はついていかないといけない。「わたし」とはぐれるわけにはいかないのだ。生きていくために。

わたしはわたしとはぐれるわけにはいかないから。その日は永遠にもう来ないだろう。過去に置いてきた。早く、懐かしむ段階に行かなければ。懐かしさと言えるほどに感情を昇華したい。懐かしさまでいけば、いろんなものが救われる。

過去を分離して。

今を明確に。

背負えるものはほんの少しなのだ。

浸っていたら逆上せてしまうのになあ。

過去は踏み台なんかじゃないよね。

踏めないよ、あんなの。

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